日記・コラム・つぶやき

2020年12月30日 (水)

この一年

 思うに任せないことがたくさんあった今年が、そろそろ終わろうとしています。しばらくはこの状況が続きそうですが、これから先、何かプラスに使えそうなことはないかな、と考えてみたのです。それで二つ、思いついたことがありました。

 一つは、「オンライン〇〇」が定着したこと。これまで電車で通っていたヨガ、勉強会、ミーティングなど、オンラインでできるようになり、こりゃあ便利!!と思っていたら、見たかった映画、行きたかった音楽イベントやトークショーなど、いろいろなことが家にいながらにして楽しめるようになりました。毎年集まっている大学の同窓会も、来年はオンラインになりました。交通費と時間が大いに節約できて、ありがたいことこの上ないです。もちろん、直接会って、触れ合ってのほうがいいこともたくさんありますが、そうでもないことはこれからもオンラインで充分なんじゃない?と思う次第です。

 もう一つは、「マスク」。確かに煩わしいです。特に夏は暑くて大変でしたね。でも、私は毎日電車に乗っていますが、今年は風邪をひいている人が例年に比べ明らかに少ないです。咳やくしゃみをしている人が、いつもなら電車の中なら一両に何人もいますが、今年はまったく見かけないのです。それはみんながマスクをしているおかげなんじゃないでしょうか。マスクで風邪やインフルエンザが防げるのですから、これからはいつも、「電車の中ではマスク」という習慣にしてはいかがでしょうか?というか、私は必ずそうします。同じ理由で、手の消毒のためのスプレーボトル、あれも公共の場所には常に置いて欲しいです。マスクや消毒で感染予防ができるのですから、安いものだと思います。

 一方で、未だに理解できないこともいくつかあります。たとえば「不要不急の外出」、というのはどういうことを言うのでしょうかね。人によって基準がまちまちで、曖昧な言葉だと思います。私から言わせれば、疲弊した人々の生活を底上げする気がないのに「GO TOキャンペーン」をやることなんてえのが、いちばん不要不急だったんじゃないでしょうか。。。いやはや、この調子で書いていくと、現政権の悪口三昧になってしまうのでこのくらいにしておきます。私のこの一年の生活感のほとんどは、ぼうごなつこさんの漫画「100日で崩壊する政権」に集約されています。

 私の仕事も大きな影響を受けており、来年の先行きはあまり明るいものではありません。それでも目の前のことを直視して、対処していかなければなりません。数年後に振り返ったときに結果はどうあれ、せめて後悔のないように、とは思いますが、さてどうなるでしょうか。

 れいわ新選組のボランティア活動のほうは、おかげさまで楽しく続けています。このごろは「ゆるキャラの中の人」をやっており、毎週いい週末を過ごしています。twitterで「@rekun2021」と検索してみてください。そちらへのコメントをいただければボランティアチーム一同励みになります。

 今年はブログ更新が少なかったのですが、「細く長く」をモットーにこれからもやり続けたいと思っています。どうぞ来年もよろしくおねがいします。

 

 

 

 

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2020年5月 5日 (火)

非日常の日常

 この冬から春にかけてのいつもと違った日常を、数ヶ月間私も体験してきました。行動自粛による影響は、もともとインドア派の私のこと、少ない方だと思います。個人の活動に関しては、すでに子供も大学生になっており手がかかることはなく、中止や延期になったコンサートや集会がいくつかあったこと、れいわ新選組のポスターボランティアができなくなったこと(これだけは残念)ぐらいです。あ、オリンピックの都市ボランティアにも任命されましたが、通知を受け取った一週間後に延期になりました。

 仕事は社会インフラとも言える物流ですので、テレワークできる部分が限られており、時間短縮で出勤しています。

 緊急事態宣言から1ヶ月経ち、それ以前の毎日残業、たまに休日出勤して忙しかった時と比べると、時間に余裕があるせいか健康状態が良くなりました。今の私にとってはむしろこのくらいの生活リズムが適しているのだと気付きました。

 ゴールデンウィークはオンラインになったヨガをやったり、amazonやYouTubeで見たかった映画や動画を見たり。イチオシは「哲学系YouTuberじゅんちゃん」!!毎日見てます。

https://youtu.be/WpogUfEJIr0

 

 

 崔健はといえば、いつも2月3月は活動休止時期、4月から音楽祭が始まるはずですが今年は休みの期間が長引きますね。たまにWe Chatでニュースや動画をシェアしてくれます。これなんかいかがでしょうか。まるで私の趣味を知り尽くしているかのような動画を送ってくれましたね。さすが崔健です。崔健にもぜひ映画「れいわ一揆」を見て欲しいです。

 

 

 それからFacebookで私にもまわってきました「子供の頃の写真公開」。実家の妹に頼んで送られてきたのが、題して「The昭和の子供」。子供の日の今日、ちょっとでも和んでいただければ幸いと思いシェアします。

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2016年6月13日 (月)

終于見到了〜やっと会えたね♡

 長征倶楽部裏メニュー台北編です!行ってきました週末台湾2泊3日。目的は6月11日の小巨蛋張洪量コンサートでしたが、この機に、ずっとずっと会いたかった人たちに会う事が出来ました。

 一人目はいつも私に崔健情報をたくさん送ってくれるJさん。もう7、8年くらいの交流が有りますが、とうとう会う事が出来ました。想像した通りのさわやかインテリ青年でした!うーん、感動。。。本やDVDなど、いろいろお土産をいただいたのですが、なんと彼はいつも、何か崔健関連の物を買うとき、私の分も余計に一つ多く買ってくれていて、いつか会ったら渡そう、と思っていたというのです。しかもわざわざ大陸から取り寄せたものばかり。実は「一無所有」のLPレコードもあるけど、大きすぎるから次回に。。。だなんて、ただ会えただけで十分嬉しいのに、なんていいやつなんだあー。。。積もる話に花を咲かせ、9月の崔健北京ライブにぜひ一緒に行こうよと誘いました。私の話を聞いて、だんだんその気になってきたJさん、少年のようにきらきらと眼を輝かせていましたよ。まだ小さい二人の息子さんがいてちょっと心配、って、一体どこまでいいやつなんだよーー!絶対行こうね北京。
 それから張洪量国際歌友会のHさん。facebookを通じての交流ですが、必ず復活する、と信じていた張洪量が本当に復活して、この春から台湾のファン達はちょうど2005年の崔健首体ライブの時の「崔健論壇」のような盛り上がりでした。その中のリーダー格、Hさんも想像した通りの元気溌剌な朝ドラの主人公の様な可愛い人でした!昨日まで深セン、明日からは上海、と仕事で年中飛び回っている忙しさなのに、コンサートの当日は昼ご飯からメンバーが集まり、午後はカラオケ、夜はコンサートからその後の夜宵まで、みんなのためにたくさん準備、たくさん貢献をしてくれました。マネージャーに頼んで、私を含めた海外(マレーシア、大陸)から来るメンバーのチケット(中央4列目!)を手配し、お土産に張洪量直筆サイン入りのコンサートポスターとCDまで用意してくれて、本当に感謝に堪えません。始終にこにこ、見ているこちらも楽しくなります。彼女と一緒にいたら、北京のLさん(崔健論壇)を思い出しました。この世界はこういう人たちの無償の愛に支えられているんですね。かつて「日本版Lさん」と言われた私としては、わが長征倶楽部も見習わなくてはいけないな、と襟を正しました。
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「張洪量国際歌友会」の横幕をみんなで持って会場でアピール。右手前の青いスカートの人がHさん。
 そしてもちろん、生の洪量大哥!ついに、ついにこの日がやってきました!コンサートの模様は次回に書きますが、非常に感動的でした。。。
 始まる前のファンの間での共通の心配は二つ。「席は埋まるのか?」さらに「最後まで歌いきれるのか?」しかし蓋を開けてみたら席は8、9割は埋まっており、2時間半のコンサートは最後まで「真唱」!最初の数曲は緊張感がいっぱいでしたが、その後だんんだんよくなる法華の太鼓、声は最後までしかと出ていました。すごいことです。プロの意地を見せましたね。
 私たちの近くの席には洪量大哥のご両親、お兄さん、お姉さんの姿も有り、さらにステージに上がった張太太と二人の子供たち、共演した台湾大学OBOG合唱団に所属するもう一人のお姉さん、と、家族とそして長らくのファンたち(老若男女、すべての年代が勢揃い!)が総動員でサポートしている様子がひしひしと肌で感じられる、本当に暖かいステージでした。
 コンサートに先立って、たくさんのプロモーション番組がオンエアされましたが、その中で突出して興味深い内容だったのはやはり馬世芳のこちら↓

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2016年5月 4日 (水)

張洪量 崔健との意外な接点

 6月の台北小巨蛋コンサートは「観客が両親二人だけでもやる」というほど家族思いの洪量大哥、昨年末に発表された新曲「bpmf宝了」でも奥さんや二人の子供との仲睦まじい様子がMVに収められています。実はこの曲の発表に合わせて北京でイベントが有るが、ついてはちょっと頼みたい事がある、という依頼が台湾の友人、Hさんという人から寄せられました。昨年11月中旬の事です。Hさんは90年代に「張洪量国際歌友会」(ファンクラブですね)の会長だった人で、当時私も会員でした。数年前からfacebookで20年ぶりに連絡を取るようになり、6月のコンサートも彼女と一緒に行く約束になっています。

 えっ、私に依頼?って何かと言えば「張洪量に質問したいことを携帯の動画で自撮りして送って。マネージャーから頼まれたんだけど時間がなくて、すぐに連絡が取れる3人くらいにお願いしているの」ということでした。そうですか、そういうことなら、と、協力することにしました。
 動画での私からの質問は二つで、「日本にいたときに印象深かった体験は?」そして「最近見た動画で、あなたは中国には本物のロックが無い、と言っていましたが、あなたの崔健に対する見方は如何でしょうか?私は彼の生活態度、声、創作、ライブ、すべて非常にロックだと思います。ぜひ直接崔健と会って、音楽や映画について話す機会がありますように」というもの。
 今までずっと二人の接点が有ればいいのにと願いつつ、このところ張洪量が北京でプロモーションをするようになり、きっとチャンスは有るだろうと思っていました。昨年夏の連雲港音楽祭では同じステージに立ちながら具体的な接触が無かったようだったので、せっかくのこの機会に敢えてこの質問をぶつけてみたんです。
 イベントの当日に張洪量からどんな返事があったのかは知らされていないのですが、程無くして二つ目の質問には別の動画で回答が有りました。それがこちらです。↓
 動画全体がかなり長く、崔健について触れている箇所は最後の部分だけなのですが、私が聞きたかった話の中身はインパクトの大きいものでした。
 
 おそらく、「中国之星」のオンエアを見てこんなことを言ったんじゃないかと思います。「僕は18歳の頃からロックをやっていた。崔健のことは大好きで、『浪子帰』のCDは僕が制作した。(!おっと、そうだったんですか!ご縁が有ったんですね!)当時、彼を内面から溢れ出るものがたくさん有る、と感じた。だけど最近の彼の言動から見るに、自分だけがロックで、他の人はロックではない、といのは間違っている。ロックはもっと範囲の広いもの。こんなことを言うと、個人攻撃だと思われるかもしれないけどそうじゃない、そう聞こえたら許して欲しい。中華文化全体の進歩に少しでも貢献したい、歯医者をやっているときも同じ態度で、人民のために服務したいという気持ちなんだ」。
 これまでにも張洪量は、周杰倫など何人かのアーティストを例に挙げて批判的な発言をした事が有りますが、崔健に触れた事はこれが初めてだったと思います。「黄書」でも触れているのですが、中国のポピュラー音楽が世界に通用していないことを憂いているがゆえの、これからの発展に寄与したいという気持ちでの発言。私はこれを聞けてとても嬉しく、この発言を引き出すきっかけを作れたかもしれない事に誇りを感じました。
 「中国之星」に限らす、テレビでの発言は、編集で誇張されがち。「自分だけがロック」と聞こえるような発言を崔健がしているかといえば、贔屓目に見なくてもしていない、と私は思うのですが、確かにあの番組での「刻薄叔叔」的な手厳しい発言は、自分の支持する以外の歌手への表現が、多少なりとも排他的に見えた事でしょう。
 この動画での張洪量の発言もまた、もしも最後の最後をカットしたなら言いたい事は伝わらないでしょうし、誤解されても無理は無いですね。或る意味無防備な発言だとも言えるかもしれませんが、インタビュー中に「日本語の、一生懸命」を引用してまで自分の仕事に命をかけている、という、それほどの思いが伝わってきてとても印象的でした。
 ともあれ、洪量大哥が崔健とは『浪子帰』でつながっていたのかと思うと感慨深いです。そしてやっぱり二人が直接会って、おしゃべりして欲しいものだな。。。と、願ってやみません。意外と気が合うんじゃないかと思うんですけど。

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2016年4月29日 (金)

裏メニューは続く。。。

ちょうど今朝、台湾の環宇FMで張洪量出演の番組を流していました。

・・・・「祭文」は売れなかった上、ちょうど蒋経国の逝去の時期と重なり(「祭文」つまり死者に送る「弔問」が流行歌とは不謹慎だということで)発売禁止になったこと、ジャケ写は当時流行最先端だった原宿風のヘアスタイルにしたこと、ロックレコードの裏方時代、収入が歯科医の時の十分の一になったこと、当時の社内での人間関係がなんでもあり(沈光遠と張培仁がライバル関係。。。とか)だったこと等々、たくさんの裏話を躊躇無く披露していました。こうしてラジオで聞いていると、とても身近に感じるものですね。
 私が台湾中国ポップスを聴き始めた頃は、音源といえばカセットテープしかなかったので、崔健であれ張洪量であれ、人となりを感じ取ることは作品あるいは新聞や雑誌等二次的な資源からしかできませんでした。張洪量の音楽は崔健よりも少し後に聴き始めたのですが、「こんな人かも」という私の想像の領域には二人の共通点として、「頭が抜群に切れ、クラシックがベースにある抜きん出た音楽の才能、妥協しない人」が有りました(ちなみに同じ印象だったのはもう一人いて、林隆璇です。表現が硬派な順に、崔健ー張洪量ー林隆璇)。
 その後、崔健は直接会う機会に恵まれ、話したり、数多くのインタビューに触れたりするようになり、人物像が明確になって行きましたが、張洪量はマスコミに出ない期間が長かったので、ずっと神秘の存在でした。後になってネット動画でライブやインタビューを見るとかなり軽い乗りで、曲の印象からはちょいとギャップも感じましたが、エンターテインメントの業界人としての一面もしっかりと表現しているのだな、と感じました。
 歌は決してうまくなく、よく音を外しています。ネットには数々の手厳しい批判も見受けられますが、ライブの様子を見ると観客に対してのアピールぶりや場の盛り上げ方からしてこの人はどうしても、裏方だけではなくやはり自分が前に出てパフォーマンスしたいんだということがよくわかります。
 
 ヒット曲では有りませんが、私は「什麼是真的」「夢在東海岸」「孤島的生活」「你始終仍舊在」なんかが好きです。やや感傷的で、ロマンチックな中にもインテリジェンスが光る、しっとり落ち着いた曲調のラブソング。この曲などは↓どちらかというと地味で淡々とした印象ですが、歌詞の漢字の並び方がほんとうに美しいですね。
 
 

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2016年4月24日 (日)

長征倶楽部裏メニューの再開です

 五年前、このブログのコメント欄が「30コメント超え」という意外な盛り上がりを見せたことが有りました。その際の話題になっていた「裏メニュー」の主というのは誰かといえば、ジェレミー・チャンこと台湾の『シンガー・ソングライター・デンティスト』張洪量大哥でありました。当時切に創作活動復帰を願っていた私の思いが通じまして、二年ほど前から彼の音楽活動が本格的に再開されています。本当に嬉しい限りです。この機に乗じて、まずは張洪量のこれまでを簡単に振り返ってみようと思います。

 張洪量といえば最近は「情歌教父」(ラブソングのゴッドファーザー)と呼ばれ(これは崔健の「搖滾教父」からの派生でしょう)、90年代に数々のスタンダード曲を残しています。このブログの検索キーワードの中でも「廣島之恋」がよく上位に上がっていますが、中国・台湾で留学あるいは駐在等をしていた人なら一度は現地のお姐さんとデュエットしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 1959年台湾苗栗生まれの客家人です。  

 もともと親孝行のために歯科医になったが、音楽への思いを捨てきれず、大学卒業後、歯科医をやりながら曲を作っていたという洪量大哥。

 87年のデビューアルバム「祭文」は坂本龍一の影響を受けたテクノポップが主体で、当時としては実験的色彩が強すぎ全く売れず、暫くはロックレコードで裏方の仕事をしていました。89年に「你知道我在等你嗎」が大ブレイク、90年代に入ると台湾・香港から少し遅れて大陸でも、カラオケブームの始まりと相まってこの曲が通津浦々に響き渡ることになりました。

 レコード会社の裏方をやっていただけ有って「売れる曲」のつぼを押さえるのが上手く、周華健、黄鶯鶯、郭富城、杜徳偉、許茹芸、許志安…等たくさんのアーチストに数多くのヒット曲を提供していますが、本人のアルバムはどれも非常に丁寧に作り込まれ、クラシック風アレンジのバラードありロックあり、また「黄書」に通じる「黄種人」としてのアイデンティティーに溢れる曲も数多く手がけています。

   92、3年に映画「在那遙遠的地方」に主演して以来、映画に傾倒。90年代中盤からはニューヨーク大学で映画制作を学び、時には徐克や李安に弟子入りしてアシスタントとして撮影現場に出入りしていました。「廣島之恋」も、授業で見た同名タイトルの日仏合作映画を自らの体験と重ね合わせて作ったもので、広島へは一度も行ったことは無いとのことです。(この曲についての詳細は、このブログのこちらの記事http://asianmovie.cocolog-nifty.com/cuijian/2011/06/post-7344.html をご参照ください。)

 ニューヨーク時代から以降には世界各地を放浪していた時期が有り、日本にも暫く滞在していたことが有るそうです。

 その後台湾で芸能活動と歯科医という二足のわらじスタイルに戻りつつ、2000年アルバム「青春夢」を発表。「全世界只有你不知道」が2004年に発売されて以降はたまに大陸の地方イベントで歌ったり、大陸のテレビに出るくらいでほぼ本業の歯科医(インプラント専門)がメインの生活をしていました。しかし仕事の合間に放浪の旅へはしばしば出かけており、その間に知り合ったリトアニア人の奥様との間に現在二人の子供がいます。

 2011年以降、相変わらず本業を続けながらロックレコードの「滾石三十」や「金曲賞」のゲストとして台湾のファンの前にも顔を出すようになり、2013年の「黄書」出版、14年の「神曲」発表と並行してマスコミへの露出も増え、15年には北京保利劇場での単独コンサートが実現しました。

 そして今年は映画「廣島之恋」の製作を発表、更に6月11日には初の台湾における単独コンサートが台北小巨蛋で開かれます。いやー、待ったかいがありました。これはもう、行かずばなるまい!私の本音は、できれば保利劇場のような小さい会場が良かったのですが、小巨蛋は「親孝行のために出血覚悟、おそらく最初で最後の個人ライブになるだろう」という本人の弁から察するに、相当の思い入れがあっての挑戦ではないかと思われます。台湾のファンもすでに中年になり、青春時代の数々の思い出を胸にどんなステージが繰り広げられるのかを楽しみに待っていることでしょう。  ・・・というわけで裏メニュー、よろしければもう少しおつきあいを。

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2015年1月11日 (日)

新年会 at「ベルサイユの火鍋城」in 渋谷!

 昨日の新年会に参加された皆さん、本当にありがとうございました!10月に映画「藍い骨」の上映が有って以来、ずっと話したかったことの数々が分かち合えて、とっても嬉しい時間でした。

 長征倶楽部を創った93年からすでに20年以上が経過していますが、この間ほんとうにいろんなことがありましたね。。。あの映画にからめて振り返ってみると、周りを取り巻く状況環境の変化がどんなに激しくても、一貫して持ち続けている「骨」さえ「藍色」なら、Let it go〜♪ 何が有っても大丈夫、そんなことを感じました。
 仲間と分かち合うことでまだまだ新しい発見がたくさんありますね!みんなで囲んだ熱々火鍋の感想も含めて、参加された皆さんからの「一人1コメント」よろしくお願いします!
 
 

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2014年12月26日 (金)

年の瀬ですね

 昨日ネットで情報を見たのですが、崔健のバンドでドラムス・パーカッションを担当した鼓三児こと張永光が飲酒後の心臓発作で亡くなりました。まだまだ活躍が期待されていただけにとても悲しい出来事です。ただただ冥福を祈るばかりです。

http://ent.ifeng.com/a/20141226/42120896_0.shtml
 今年も残すところあと5日となりました。どこへも行かない私は静かな年末年始を迎えたいと思います。
 

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2014年11月22日 (土)

王昆女史の訃報

 毎年この季節になると、各界の訃報が数多く耳に入ってきます。今週は、中国でも80年代に絶大な人気を博した高倉健が亡くなったというニュースがあり、我が社の社長(北京人)とは昼休みにひとしきり、「あんな俳優はもう二度と出ない」と、ともに「幸福の黄色いハンカチ」「君よ憤怒の川を渡れ」当時の青春時代を懐かしみました。

 また今日になって王昆女史の訃報記事を見ました。王昆女史といえば東方歌舞団の団長として、中国の流行音楽発展に多大な功績を残された方で、崔健が「百名歌星コンサート」で「一無所有」を歌うことができたのは彼女の推薦が有ったから。一貫して、才能のある若い人の育成に労を惜しまなかったのですね。
 

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2014年11月 3日 (月)

「藍色骨頭」スマートフォンって、こんなです

 実は先日、尤尤さんからいただいたお土産があるんですが、なんと、「藍色骨頭」のスマートフォンなんです。

 「这个很贵重吧」と、思わず陳果から東ドイツ製の万年筆を手渡された施堰萍のように目が点になってしまった私ですが、昨年春に発売された時にはその値段3,999元にびっくり。しかも中国アマゾンで独占販売。まさか私の手に届くことになろうとは思ってもいませんでした。なんだか今でも恐れ多い気がしています。
 
 見た目がごつい割には軽くて持ちやすく、操作性は快適です。
 私の携帯電話のSIMカードはサイズが合わず、WIFIでネット接続してみました。なかなかいい感じです。
 一番すごいのは、崔謙の写真集(子供の頃の写真も多数)、アルバム「浪子帰」から「給你一点顔色」までが完全収録されていること、これまでのMVやライブ、ニュース番組など全部で45本(!)の動画が収められていること。値段が高いのは、このせいだと思われます。
 特に動画は、2005年北京での12年ぶりの大型ライブ、2011年年越しロック交響楽ライブ、2012年五棵松ライブなどなど、名場面を非常に鮮明な画像とクリアーな音質で楽しむことが出来ます。
 いつも北京での大型ライブがある時には、現場で本格的に撮影をしている様子を私も見ていました。崔健論壇の友人達は毎回、「DVDが出るんじゃないかな」と噂していましたが一向に出てこなかったので、あれはいったい何のためだったのだろうか、と思っていましたが、このためだったんですね。ずっと見ていてちっとも飽きません。ファンにとっては長旅のお伴にぴったり、とでも言えるかと思います。(本当は映画「超越那一天」を3Dで見たいのですが、当面はこれで我慢です。)
 レアな映像はといえば、2005年の「給一点顔色」が出たときのプロモーション用DVDに収録された画像があり、おそらくこれが崔健が野球帽をかぶっていない、最後の公式映像ではないかと思います。
 さらに88年まだPartyと呼ばれていた頃の模様(甘利さんもギターを弾いてます)、89年ロンドンアジア音楽祭、94年アメリカシアトルライブなどなど、皆さんにも見て欲しい映像が満載です。ぜひ、次のミーティング(このところ飲み会をやっていないのでやりたいですね)で披露したいと思います。 
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